アラサー女、仕事を辞める①

7月に仕事を辞めた。

 

前社は自動車部品メーカーの生産技術として約5年間務めた。20代最後に決心した、おそらく人生で最後の転職だ。

仕事を辞めた一番の理由は、

とにかく環境を変えたかったことだと思う。

 

そう思ったきっかけとして、自身が患っている摂食障害がある。摂食障害の中でも拒食、過食嘔吐に苦しみ、ここ1年は病気を治療しながらの生活を送ってきた。

 

環境を変えたことで、摂食障害が治るとしたら

答えはノーだ。

今まで何度も環境を変えようと努力をしてきた。

体も限界を迎えて入院して、3食食べて規則正しく起きて寝る生活をしても治らなかった。

前社では2回休職して会社を休んで自宅休養しても悪化するばかり。実家で1ヶ月暮らし、一時は回復するも、治らなかった。

 

前職の環境では"仕事ができない"という劣等感があったのでは?と分析した。

生産技術として、設備やモノの品質、安全性を常に考えるだけではなく、治具の追加工の技術、製図の技術、モノの知識、全部足りていなかったからだ。

それ以上に、またできないのかよ、女の子だもんねと思われるのも嫌だった。(実際に、女子だしねと言われることもあった。)

土日出勤や残業もたくさんしていた。男性と同じように働きたくて、負けたくない、舐められたくないと必死に食らいついていたような気がする。

 

劣等感を無くすために、認められる環境に身を置けば、自分を責めることなく、摂食障害も治る、、、と思っていた。

そもそも、ダイエットを始めたのも自分のためではなく、他人に認めてほしいからだった。痩せていれば認められる、という感覚が、染み付いていた。

 

自分を認めてもらう場所を探した。誰に認められたいかと考えた時、男性に認められないことに劣等感を感じていた過去を思い出し、男性と関わろうと夜にバイトを始めた。

そこでは私は商品であり、商品として良いかどうかを男性にジャッジされながら働く場所だった。商品として認めてくれる男性はたくさんいたが、自分は満たされるどころか、擦り減り、大金を稼ぐことはできたが、全て過食嘔吐の食材になり、トイレに流していた。

 

彼氏とも同棲を解消した。彼のことは好きだったが、摂食障害の最中、精神が参っていた私は彼の支えが届かなかった。彼を傷つけるばかりで、彼はいつも泣いていた。その姿をみて更に自分を責めた。苦しい二人暮らしだった。一緒にいるくらいなら、と同棲を解消しようと、一人暮らしになった。

 

引っ越しもした。家の間取りを占い師に見てもらうと、水回りが鬼門を全て向いていて、女性は体調を崩しやすいらしい。よく体調崩されませんでしたね?と言われ、いやもう崩してるんですけどね!!!と大きなツッコミが入った。

その家にいると確かに気が沈んでいた。摂食障害の最中に過ごしていたからか、ここにいては治らないとも思った。同県内で引っ越しを決意し、全部を一新したくて、思い切って家具や家電も全て売り払った。

 

休職2回、入院、実家帰省、バイト、彼氏と同棲解消、引っ越し、など今思えば、環境を変えれば治ると必死だった。

その最後の切り札が、転職だった。

 

正直転職しても、もう治らないとも思っていた。

何度も環境を変えて打ちのめされ、もう摂食障害とは一生付き合うんだろうなという覚悟さえできていた。

それに、前職が好きだった。

生産技術という職種は、私にとって大変で辛いことはあったものの、私のポジションは私にしか担えないと思っていた。改善したり、図面を書くのも、苦手だったし失敗ばかりだけど、大好きだった。

 

その気持ちとは裏腹に、1日会社で過ごすことが体力的に苦痛になっていた。また同じ事の繰り返しだと思った。今度は3度目の休職をするのかと、また地獄を生きていくしかないと、絶望だった。

そう思った時、もう辞めようと思った。

 

続ける理由はたくさんあった。

生産技術を好きな自分を、仕事を好きな自分を裏切る気がしていたから。

私がいなくなったら、組立を分かる人がいなくなる。

周りを裏切ってしまうかもしれない。

入院歴があるから、転職する時は不利になる。

 

本当は嫌なこと、辛いことがたくさんあった。でも目を背けて、休職して復帰した。自分はまだやれる、もっとやれる、という万能感と、みんなに認められれば、私は変われるんだと、他人からの評価の中でしか泳げなかった。

 

辛かったことは仕事だけではなかった。

明らかに私を女、として接してくるおじさんや、休日でさえ無視しても引切り無しに個人的なラインを送ってくる上司、摂食障害のことを打ち明けても、可愛いから大丈夫だよと言ってくる上司に本当にうんざりしていた。悲しかったし、正直気持ち悪かった。でも上司だし、と言い聞かせていた。

 

休みがちになり、その上司に会うのもストレスで、好きだった仕事はできなくなって、

もう無理かもしれないとやっと気がついた。

もう最後に変えられるのは、職場だけだった。

家、家族、恋人、バイトなど、人との関わりや環境は全部変えてきた。変えてないのは、職場だけ。

 

仕事やめようと思うと、母に電話をかけた。

母は案外、よく頑張ったし、いいよやめても。

と言って私の気持ちを汲み取ってくれた。

 

次の日に、退職届を出した。

 

出した日の帰り道で、やっと終わるんだと、ホッとしたのを覚えている。次の就職先も、というか転職活動すらしていなかったけど、安堵の気持ちだった。

 

退職の日のギリギリまで仕事をしていた。

退職の日、お世話になった皆さんに挨拶しに行った。大好きだったA先輩は幸か不幸か、その日は休みを取っていた。最後の挨拶はできずに終わった。

 

作業着もバッジもすべて返却し、

暑い夏の日の夕方、もうこの道を通ることはないな、と思いながら帰り道を歩いた。

 

同時に、何も変えることがなくなったとも思った。

転職という最後の切り札を使ったからだ。

ありとあらゆる環境を変えてきたけど、自分を許せない気持ちは変わらないのだ。あとは変えるのは自分だけなのに、きっと私はこのまま生きていく。

 

様々なことを手放した私は、

少しでも軽くなれるのだろうか。

軽くなったら、変われるだろうか。

しんどい気持ちはなくなるだろうか。

 

間違ってない選択だと言い聞かせながら

29歳、1ヶ月の夏休みが始まった。

 

 

 

 

アラサー女とダイエット②

過食嘔吐が本格化したのは22年の5月頃だ。

 

だんだんと週2回から頻度が上がり、毎日食べ吐きをするようになった。

週2回以外は、断食→また過食というループになり、

0-100の食べ方になっていた。

その頃には、自分の中での許可食(低カロリー、低糖質なもの)もすでに食べられなくて、食べては全部吐いていた。

 

指を喉に突っ込み、嘔吐反射を利用して吐く。

手には吐きだこができ、傷だらけになった。

そんな手を会社の人に見られたくない、歯がとけるのは嫌だ、

もう明日からは普通に食べるんだ!と何度も思った。

 

何度もやめようと思ったが、だんだんとストレス解消の手段に変わっていった。

吐き出していると、心のモヤモヤも無くなっていくような、

好きなものを好きなだけ、食べて、吐く。

仕事のストレス、プライベートでうまくいかないこと

すべてを食にぶつけ、吐いた。

痩せているね、の言葉だけが私を救ってくれたような気がした。

 

だんだんと嘔吐反射に慣れ、うまく吐けなくなっていた。

体重が増えることがなによりも怖かった。

手も傷だらけになり、何かいい方法はないかと考え、SNSで見つけた方法、

シリコンチューブを使って吐くという方法に手を出した。

 

幸か不幸か、エンジニアをしていた私は

チューブを購入し、飲み込みやすいように加工し、胃までチューブを突っ込んで

全部吐きだす方法を身に着けてしまった。

 

ここからが本当に地獄だった。

胃の中のものを簡単に吐き出せるため、体重はどんどん落ちた。

胃の中の食べ物を吐き出すだけでは終わらず、胃の中の米粒まで全部吐き出したかったので

チューブから水を注ぎ、胃洗浄まで行った。

 

胃の中が空になり、疲れ果てて眠る。

お風呂もまともに入れずに、家の中で何度も失神した。

体は常にフラフラで、会社にも1日行けなくなり、半日で早退を繰り返していた。

頭が回らず、判断力も落ち、車の運転はよくぶつけていた。

人を轢かなかったことが幸いだったと思う。

 

このときの体重は、身長160㎝で35kgだった。

もう普通に生活はできなかった。ベッドで床ずれを起こすくらい、

骨が当たって痛かった。

夜寝る前に、何度も明日の朝日は見られないかもしれないと思ったが

痩せ、を手放せなかった。

病院で入院を勧められ、休職し、入院した。

 

入院生活では、点滴で栄養をいれ、24時間心電図とカメラモニターで監視された。

命に危険があり、突然死する可能性があったからだった。

食事も決まったものを決められた時間で取り、体はだんだんと回復したが

心のケアが追い付かず、病院食も嘔吐した。

外出許可が下りたら、ホームセンターに行き、シリコンチューブを買って

爪切りで加工し、嘔吐に使った。

 

あまりに異常すぎるが、この頃の自分は全く取り柄がないと思っていた。

太って変わったら、会社の人はなんていうだろうか

太ったら価値がない

元気になったら、皆から心配されなくなる

痩せているのに頑張ってる、そんな自分を周りに見てほしい

私は頑張ってる、努力している

太っている人は努力していないと思われる

認めてほしい、わかってほしい

痩せているということだけが、私の生きる糧だったし、全てだった。

痩せていれば、うまくいくと思っていた。

仕事もできず、過食嘔吐をしているので毎日食材費だけで1万以上使っていた。

それを全てトイレに流した。

 

もうどうしようもなかった。どうすればいいかも、分からなかった。

ひどくなるばかりなのに、入院中は週1回しか診察がなかった。

カウンセリングもなく、ただただ食事を与えられる。

逃げるようにして退院し、仕事に復帰したが、

復帰後に会社の人に言われた何気ない一言。

『ふくよかになって元気そうだね』

心が折れてしまった。

 

悪気がないことはわかっているのだが、やっぱり痩せていないと、という気持ちが

全然消えなかった。

復帰したが、過食嘔吐は治まらず、1ヶ月でまた休職。

次は入院せずに実家に帰った。

 

実家では自分と向き合うことに注力した。

食べたいものを食べたい分だけ、用意してもらい、オンラインカウンセリングで

自分と向き合った。

自分の弱さや痩せへの執着に向き合い、その1ヶ月でごはんが3食食べられるようになり、体重も大幅に戻った。

その後会社復帰し、部署異動もし、さぁ今度こそ!と意気込んだが

過食の欲、痩せたい願望が襲ってきて、また元に戻った。

また毎日過食嘔吐するようになってしまった。

 

何度も打ちのめされた。

 

なんで食べられないのだろう、なんで痩せていたいのだろう

なんで過食してしまうのだろう。

本を読み漁り、病院へ行き、入院し、大学病院へも診察に行き

カウンセリングを受けた数は数えきれない。全て試したと言っても過言ではない。

何度も何度も試してきたが、治らなかった。

摂食障害は食べ物依存症、と書いている本があったが

本当にその通りだと思う。

 

周りにはなんで?どうして?と言われる。

私もかつてはそうだった。世界仰天ニュースで過食嘔吐の回をみても

食べ物を吐くなんて、もったいない!私は絶対ならない!とよく思っていた。

 

今現在も、戦いの渦中にいる。

引っ越しても退職しても、痩せなきゃ、可愛くないとと

評価する人なんていないのに、周りは優しい人ばかりなのに

自分が一番太った自分を受け入れられない。

認めたくない。

吐くのも嫌だし、お金を使いたくない。

楽しく生きたい。普通に食べたい。

 

何度も思ったが、挫折し、打ちのめされ、今も過食嘔吐は治らない。

 

ここまでの道のりで、分かってきたことがある。

自分自身を見つめてきて、自分の思考のクセや嫌なこと、苦手なこと

少しずつではあるが、自分がだんだん分かってきた。

過食嘔吐は治らないが、

周りの人には痩せていないと美しくない、という考えは

押し付けてはいないし、その人らしく生きてほしいと常に思っているのだ。

 

自分にそうは思えない。認められない。

自分自身を許せない。

なぜなのか。今もずっと自問自答をしている。

 

 

あきらめたくない。幸せになることを。

でも同時に怖いのだ。自分を認めること、許すことが。

でも前を向き続けたい。生きていたい。

 

そう思いながら、今日も生きていく。

アラサー女とダイエット①

いつからだろうか。

ご飯が“きちんと”食べられなくなった。

 

思い返すとダイエットを始めたのは2021年の秋だった。

きっかけは、SNSだとか他撮りが盛れないとか友達には言ってきたような気がするが、前回も書いた会社の大好きな人だった、A先輩との出来事だったと思う。

 

会社の帰り道、更衣室から私服を着て出る私。

この時の服装を今でもよく覚えている。

黒の七分袖のリブTシャツに、ブラウンのユニクロジーパンだった。

Tシャツはぴちっとしていて、体型がよく現れた。

 

その時同時に、経理部のギャルも更衣室から出てきた。

 

そのギャルは帰国子女で、とにかく派手で目立っていた。一部上場のメーカーの経理部とは思えない、金髪ロングのへそ出しで出社していた。

 

そしてそのキャラを裏切らず、課長から新入社員まで、女性慣れしていない工場勤務の男性の心鷲掴みにするような、誰の懐にも入り込んでいける明るい性格だった。

 

正直私は大嫌いだったし、苦手だった。

 

同じ職場にそんなギャルがいることを想像してほしい。課長部長関係なく全員にタメ語だし、

その子が自部署に来るたびにちやほやされて、その度に何もされていないのに本当に嫌な気分になっていた。

そのギャルは私の負のオーラに気づいていて、ギャルが異動になるまで私には一切話しかけてこなかった。

そりゃそうだ。勝手に嫌悪感を抱いていたのは私だ。

 

話は飛んだが、そのギャルと同時に更衣室を出たら、

隣の男子更衣室からA先輩もでてきた。

 

 

その瞬間。

 

A先輩とギャルと私が同タイミングで鉢合わせた。

一緒にかーーえーーろーーーーー!!とギャルがA先輩に言う。

仕方ないな、と言わんばかりの顔のA先輩。

一人立ち尽くすあたし。その場にいるしかなかった。

 

完ぺきな敗北を目の前でした。二人が並んで帰る後ろを、かなり後ろから距離を離して歩いていくしかなかった。

 

ギャルは寮まで乗せてってよー!!とか言うし。声でけえよ。

A先輩は駐車場までね?と。乗せてくんかい!!!!

後ろをのそのそと情けなく歩く私に2人の姿が突き刺さった。

 

 

状況を受け入れられなくて、やっと入り込んだ自分の車の中で

そうだよね、そうだよね、私なんかね、、、と唱え続けた。

羨ましい。あの軽快さ。あの私にはない愛嬌が。

ギャルがあの瞬間いなければ、あたし一緒に帰れたのにな。。

いろんな事を思って悔しさと惨めさ、悲しさを噛み締めていた。

泣きたかったが、そういうときほど涙は出ないものだ。お前じゃないと、負けだと言葉で言われない"負け"が1番惨めなのだ。

 

あたしがもっと可愛ければな

あの子に勝てる何か、があればな

認められるのかな……

負けを全然受け入れなかった。受け入れたくなかった。

受け入れないかわりに、何かを頑張ることで埋めるように

 

“痩せれば認められるかも”

“この辛さや苦しさは、痩せれば変わる”

“痩せれば全部うまくいくかも”

 

 

 

そんな思考がだんだん、自分を支配して大きくなった。

 

 

 

そこから糖質制限、運動、今思えばかなりストイックにこなしたと思う。

 

体重はだんだん落ち、1年で13kg落ちた。

 

周りからは“痩せてきれいになった”“ダイエットがんばったね”

 

望んでいた言葉を言ってもらう事で、認められる快感を得た。

 

 

 

そうなるともう、体重を落とすことでしか認められない、という思考に陥った。

 

いつからか、食べることが悪になった。

 

全部のカロリーを見て、食品表示をみて、炭水化物、脂質の表示を見ないと買えない。

 

0カロリーのもの以外は受け付けない。

 

 

 

そんな中、会社の飲み会があった。

 

食べなければいけない用事は苦痛だった。でも拒食症がばれるのはもっと嫌だった。

 

1度口に食べ物を運んだら電気が走ったようだった。とてもおいしかったのだ。

 

その帰り、コンビニで大量に食品を購入して、貪るように過食をした。

 

食べ終わった後、罪悪感と努力が無駄になった後悔で泣きながら、ネットで 過食嘔吐 で検索した。

 

 

 

地獄は始まったばかりだった。

アラサー女、始発で帰る

飲み会があった。

 

飲み会といっても、気の知れた同期がご飯に誘ってくれたのだった。

私は約1年前から摂食障害を患っており、入退院や休職を繰り返しながら

治療を続けているが、最近また過食嘔吐が続いていた。

そんな時にちょうど良いタイミング。

私は会食ならご飯が食べられるのだった。

駅のスタバで待ち合わせして、店を探す。

 

彼は同期で、以前私が異動する前は同じ部署にいた。

彼は高専卒で私は大卒1留なので、年は3つ下だが、

気が合って話しやすかった。

仕事のこと、音楽の事、恋愛の事、なんでも話せた。

この日もおなかすいたねと言いながら

2時間で3品ほどのつまみを4~5杯の酒で流し込んで

話に花を咲かせた。

 

 

そんな中で、彼が言った。

「A先輩、現場のBラインの女の人と付き合ったんだって」

その瞬間、なんとも言えない、ヒヤっとした液体みたいなものが自分の体に流れる感覚みたいなものを感じた。

 

A先輩と私は、色々あった。

同期の彼と私とA先輩は以前同じ部署で、私はA先輩が好きだった。

人生で一番すきだった。

 

A先輩は仕事ができて格好良くて、あこがれだった。

一度一緒に出張に行ったときに、そういう関係になった。

 

そこからよくある、都合の良い女、いや、都合のいい女にもなれなかったパターン。

一晩寝ただけで自分が認められたような気がして舞い上がって、一喜一憂して

気持ちはいつもジェットコースターの様だった。

 

それでも、酷いことを言われたり連絡は無視されても、どうしようもなく、好きだったのだ。

そんな人にも、好きな人ができて付き合うことがあるのか。

しかもBラインの女の人なんて、私も知ってる。

私には、同じ会社の人は付き合えないとか言っていたのに。

私の方が若いし、可愛いのに、、、

頭の思考回路が最低な言葉で埋め尽くされて、フル回転だった。

 

 

ラストオーダーが来て、追加で酒を頼んで、全部飲み干して店を出た。

終電はまだあったけど、ぶらぶらしてるうちに

私から彼にもう今日帰るの?と聞いて、ホテルいかない?と誘っていた。

彼は断れない性格なんだよなぁ、と曖昧な返事をしつつ、

ホテルに一緒に向かった。

やることはちゃんと済ませて、

なんならいつもより激しめに事を終えて、

疲れて寝ていた。

朝になって、始発で寝ている彼を横目に部屋を出た。

 

 

いつからだろうか。

私は、向き合えない事実は、自分で上手く埋められなくなってしまった。

その代わりに、食べ物や男との関係で埋めているのだ。

今はそういう方法でしか、自分自身を満たせないのだ。

 

摂食障害の治療も、色んなカウンセリングや心理療法を受診してきたが、

その度に、向き合いたくない事実を過食嘔吐で埋めているとか

プライベートを充実させることに注力するだとか、自分を褒めてあげるとか、アドバイスされることは同じだった。

わかっている。そしてたくさんやってきた。

でももう、疲れた。

自分の事は、分かりきっている。受け入れられない事実に向き合えないことは。

目を背けてしまう事は。

ご飯が食べられないのは、食べても吐いてしまうのは、太っていくこと、それが周りにどう見られてしまうか、

何よりも、自分自身の太った体を絶対に受け入れたくないのだ。

そんな自分は醜くてみたくない。

 

男性とも、たくさん関係を持ち、そのたびに自分自身は

一瞬だけでも大切にされたというその感覚が心地よくて、何度も繰り返す。

その後の虚しさには何度だって耐えられないのに。

男性には、愛されない、認められない、好きにはなってもらえない、大切にされない。

そんな事実をいつも受け入れられない。

 

自分自身を愛せない。他人に認めてもらえなきゃ、満たされない。

 

私はいつになったら、何もできない自分を愛してあげられる、受け入れてあげられるようになるのだろうか

 

自己受容、自己愛、親からの影響、自己分析やHSPADHDに至るまで

あらゆる本を読んで当てはまるものを探し、これは自分だと何度も痛感してきた。心療内科のカウンセリングも、摂食障害専門のカウンセリングも受けたが、一向に考えは変わらない。

 

こんな自分が許せない。認められたい。愛されたい。

許してあげたい。認められたらどんなに楽なんだろう

 

 

 

…あきらめつつある自分がいる。

自分はこんな人生を歩んでいきつづけるのだと

生き苦しさは手放せないのだと

だから戦っていくしかないのだと。

抱え続け、持って、悩み続けるしか、

認められたい愛されたいともがくしか、

今はその気持ちと折り合いが付けられない。辛い今を生き続けるしかないと。

地獄はこれからもつづくといくことを。

 

それは逆に、…誰かに認めてもらう事を、あきらめきれないということ。

私にとって他人から認められないということは

生きる事をやめてしまうようなことのようにつらいことなのだ。

 

こんな自分を、いつか本当に愛せるときがくるのだろうか

 

始発の車窓からは、朝日が昇っていて

同じ朝帰りのサラリーマンが鞄を抱えてすやすやと眠っていた。